6回死にかけた男

2011年7月 1日 (金)

6回死にかけた男 6

Photo_3   男は瞬時に『脳梗塞』を疑った。
右手にしびれ、そしてろれつが回りにくい。
つまったのが一瞬だったのか、まだ動くことができた。
自分でタクシーに乗り、大病院へ。

手術はしなかったが、リハビリは必要だった。
70歳。まだ現役で仕事をしているのだ。
次の日から階段の上り下りが始まった。

男の趣味はテニス
どっちが仕事がわからないと言われるくらい楽しんでいた。
「30代の骨、20代の筋肉」と医師が驚いた。
「これでボケて徘徊したら・・!」と男の妻は二重のショックを受けた。

家族や親戚が見舞いに来た。
リハビリ道具もぐらたたきに順番に挑戦していく。
ボールペンの芯のような細い棒が板に出っ張って正確に並んでおり、
細い柄のついた、釘の頭くらいの幅のトンカチで順に叩いていく。
飛ばしたり、ぶつかったら失敗だ。
スピード、正確さ、それを可能にするために、
持ちにくいトンカチの器用な扱いが要求される。

男は毎日やっていた。今はそれが仕事だ。
そして、もぐらたたきは見舞い客の誰よりも早かった。
日常生活には問題ない。
しかし、細かな手先の器用さを必要とする外科医は普通ではダメなのだ。
もっと早く、もっと正確に!

薬を飲んでも、10年以内に再発する確率ほぼ100%と言われた。
そのときはすぐに天国へ行くか、
半身が効かなくなったり、寝たきりになったりするという。

覚悟を決めてから14年が過ぎた。
脳梗塞は起きていない。
休日が増えたものの、男はまだ現役である。
人間の使命とは何なのだろう。

photo: Do you like tennis? / honey-bee
http://www.flickr.com/photos/honey-bee/500891469/

2011年6月12日 (日)

6回死にかけた男 4

男の車は大破した。その先は海だった。
カーブを曲がりきれず、反対車線に飛び出し・・・だが、海までは行かなかった。
くにゃりと曲がった反射ミラー一本で、男の車は支えられていた。

車どおりのほとんどない山道。
たまたま通りかかったパトカーと救急車に拾われた。

今まで無事故無違反だった。
「居眠りしてしまったようだ」 男は警官に話した。
「事故の衝撃で記憶が飛んでる」 警官は想像した。

切符は切られなかった。
何を隠そう、事故の元凶は、あの反射鏡だったからだ。

何か錯覚を起こすような角度、位置に取り付けられていたらしい。
下り坂を降りてきて、反射ミラーで確認すると、
車は反対車線に飛び出し、ブレーキを踏んだときにはもう間に合わず、
ガードレールを超えてしまう。
何台もの車が海に落ち、
近々ミラーは別の位置に付け替えることになっていたという。

男の車はスピードが出ていなかった。
おかげで、ミラーで止まることができたのだ。
次の日、男は無傷で退院した。

もし、本当に居眠りだとしたら、あの位置にミラーがなければ、
男は海に飛んでいた。
付け替えられてなかったおかげで、命拾いしたのである。

2011年5月14日 (土)

6回死にかけた男 2と3

男は赤痢に倒れた。ベッドが並び、大勢が苦しんでいたという。

「水を飲むな」という医師の指示、今では考えられないことだが、

当時は水を飲むとさらに下痢をして死ぬと思われていたらしい。

 

男はあまりに喉が渇いて耐えられなかった。

もう死んでもいいと、指示に逆らい、隠れてがぶ飲みした。

多くの患者が水を飲ませてもらえずに、脱水症状で死んだ。

 

ときには、人間も動物の本能に従って行動することが必要だと思う。

 

3回目は肝炎。A型で命拾いした。

インターン時代、自分と同じ医局の医局長と看護婦も感染したそう。

「今思えば、院内感染だったんだろう」と話していた。

まだまだ生きてやらなくてはならない使命があるのだ。

2011年3月18日 (金)

6回死にかけた男 1

アメリカが素早い対応で被災地を支援してくれている。

 

男は空からアメリカ兵に狙われた。第二次大戦中、海軍兵学校時代のことだ。

戦闘機の窓から兵士のメガネが見える距離だったという。

仲間5,6人だったか、全員死んでもおかしくないのに、

銃弾はわざと逃げる生徒を避け、空いた道を跳ねていたそうだ。

「子供だと思って脅しただけだったんだろう」と。

 

そのときの仲間は生き残り、男も友達も医師になった。

きっと大勢の患者を救ってきたことだろう。

あのとき、アメリカ兵が見逃してくれたおかげだ。

 

せっかく生き残っても物資不足で亡くなるなんて可哀想すぎる。

日本も負けずに早い対応を期待したい。